そういえばここの日記にまだ一度も英語のことを書いていなかったような気がするので、記録の意味も含め書いておこうと思います。


 ご存じの方はご存じの通り、私は英語が苦手です。いえ、苦手というレベルを超えて恐怖に感じています。電車の中で背後で英語で会話されたりエレベータの中で英語会話と一緒に乗り合わせてしまうだけでカラダが硬直するくらいの、英語嫌いです。
 語学自体には関心はあって、各種言語の「入り口」だけはそれなりの種類に触れています。4月はNHKの語学講座をひととおり見てみるくらい(その中で面白かったものだけが5月以降も残る)。それらは私の中では言葉として使うことを目的としていないので非常に気楽なのです。
 それに比べて英語は「読み書き会話ができ "なければならない"」ものというのが社会的な位置づけのようで、恐怖感というのはそういった空気に対してのプレッシャーのあらわれなのかもしれません。


 私にとっての英語は、中学校で習い始めて以来ずっと「暗号解読」の対象でした。単語の意味を調べ、線を引いて並び替え、ようやく全体の意味ができあがる、そういうもの。私が学校の英語教育に対して恨み節を言ってもよいとしたら、それは「コミュニケーションの道具なのだから、とにかくまずは通じることを目指す」ということを教えてもらえなかったことを強く指摘したい。
三単現のs とか、the は母音の前で ヂ とよまなきゃいけないとか、不規則変化する動詞は ed なんかつけちゃだめでちゃんと不規則変化覚えよう、とか、その他もろもろ。


 閑話休題。
 それほどの恐怖感を持つ英語に対しても、自分自身の中にも「絶対に必要なものだ」という意識はあって、それなりの努力はここ10年以上も続けてきました。英語サイトを読もうとしたり(結局暗号解読作業になってしまう)、アルクの教材で勉強してみたり(レベル感をあわせるのが難しかったのと、これもコミュニケーションに主眼を置かない意識のままだと結局は暗号解読で終わってしまう)、それなりにお金も時間も割いてはいたとは思います。
 でもあまりにも進歩がないので「私には英語はいらない。無理だし。そんな時間かけるくらいならば日本語でできる事でちゃんと本業のお仕事に時間を割くんだ! そして本業で儲けるようになれば通訳くらい雇ったっていいんだし、そのほうがトータルで効率がいいんだ!」といつしか言うようになりました。でも内心、英語わかるようになったらいいなぁという思いは常にあったのです。


 さてそんな1年半ほど前のある日、本屋さんの語学コーナーをいつものようになんとなく見ていたところ、一冊の本が目に止まりました。「多読多聴マガジン vol.1」。もしかしたらこれで英語がわかるようになるかもしれない、と思い買い求めました。とは言うものの、こんな感じで手に取った書籍、雑誌は数知れず、この本もそんな中の単なる一冊になるだけだったかもしれませんでした。


(つづく)